← CREATIVE

第2章 ドンキィちゃん

動物の顔をした人々が、音楽に合わせて軽やかに踊っている。エルジェベータはその光景に圧倒されながらも、不思議と逃げ出したいとは思わなかった。 現実の舞踏会にある値踏みの視線も、作られた笑みも、ここにはない。ただ音と光が流れ、人々はそれぞれの形のまま美しく存在していた。

やがて人々の間が静かに開き、一人の紳士が現れる。ロバの顔をした紳士だった。 彼はエルジェベータの前で丁寧に一礼し、「こんばんは、お嬢様」と穏やかに言った。その声は押しつけがましくなく、ただ自然にそこにあるようだった。彼が手を差し出す。

「一曲、いかがですか」

エルジェベータはその手を見つめる。断る理由を探したが、何も浮かばなかった。そっと手を取ると、ひやりとした感触が指先に伝わり、すぐに体温へ馴染んでいく。ポルカのリズムが体を軽く引き上げ、一歩踏み出すと自然に体が弾んだ。踊るために整えられた動きではなく、楽しいから動いてしまう。そんな感覚は初めてだった。

「……変な踊りね」思わず言うと、彼は穏やかに「そうでしょうか」と返した。 「でも、嫌いじゃないわ」エルジェベータがそう言うと、彼は何も言わず、ただ彼女の速さに合わせた。 くるりと回るたびに光が流れ、ドレスの裾が空気を含む。彼女は笑っていた。 誰かに見せるためではない、自分でも驚くほど自然な笑みだった。

「あなた、名前は?」とエルジェベータが尋ねる。

「特にございません。」

「…ないの?」

「必要とされておりませんので」

エルジェベータは少し考え、「じゃあ、ドンキィちゃんって呼ぶわ」と言う。一瞬だけ音が揺れた気がした。「……ドンキィちゃん」彼がその名を繰り返す。「ええ、それでいいわ」そのやり取りは、不思議なほど胸に収まった。

やがて音楽は静まり、世界がほどけ始める。

「待って」

エルジェベータは手に力を込めたが、その指先はゆっくり離れていく。

「おやすみなさい、お嬢様」

その声を最後に、彼女は自室で目を覚ました。 胸の奥には確かに何かが残っている。 「……ドンキィちゃん」その名前を口にするだけで、少しだけ満たされた。